貨幣と金利の歴史

日本最古の貨幣
 
さて、今回はお金と金貸しの歴史についてお話ししたいと思います。
日本最古のお金として有名なのが「和同開珎(わどうかいちん・又はわどうかいほう)」ですが、実は最近になって「富本銭(ふほんせん)」という貨幣が、日本最古のお金ではないか?という説が有力視されています。
事の経緯は、平成10年、奈良県の飛鳥池遺跡から、約40枚の富本銭が見つかり、研究により和同開珎よりも25年早い時期(西暦683年・天武12年)に発行されたものである事がわかりました。
富本銭は平成10年の発見よりも前にいくつかの発見がありましたが、数があまりにも少ない事と、仏具や装飾品などと一緒に製造されていた事から、死者などにそえる副葬品(ふくそうひん)ではないかと考えられていました。
日本書紀(683年)では、「今より以後、必ず銅銭を用いよ」という記述があり、何を指しているのかが謎とされていましたが、平成10年の発見により、富本銭を指している可能性が強くなったというものです。
富本銭は、当時の中国(唐)で用いられていた「開元通宝」という貨幣とほぼ同一規格(大きさ、重さ)で製造されていた事からも、日本最古の貨幣である可能性が高いと見られています。
ただ、前述のように数があまりにも少ない事から、依然として謎は残されたままとなっています。
 
金貸しの歴史
現在の消費者金融のはしりである「金貸し」は、お金の誕生と同時に発生したとされています。
金貸しは、「楽して儲ける」という発想から生まれ、農業や傭兵、売春などに次いで日本最古の職業とも言われています。
お金の誕生と同時にできたという事は、西暦683年から金貸しは存在していたということになります。
 
近代の金貸し
金貸しは徐々に全国に広がりを見せ、物を質草(担保)に入れてお金を借りる「質屋」が全国各地で見られるようになりました。
質屋は鎌倉時代に生まれ、1960年頃までは庶民金融の主流として人々に利用されてきました。
実に750年もの歴史がある事には、只々驚くばかりです。
1970年代に入るとちょっとした「小金持ち」が、近所の主婦などを相手にお金を融通する「団地金融」が流行だしました。
かなりの高金利ですが、無担保無保証で借りられる利便性が支持され、質屋は次々と姿を消していくことになります。
 
貸金業法の誕生
無担保・無保証の消費者金融が勢力を拡大するにつれ、多重債務者問題や強引な取り立てが社会問題となっていきます。
強引な取り立てには、家の玄関に嫌がらせの張り紙を貼ったり、深夜に多人数で押しかけるなど、問題は深刻化していきます。
ついには保険金での返済を強要する悪徳業者も現れ、(つまりは死んで払えという事です)貸金業を規制する法律が一気に加速するようになりました。
こうした問題を受け、昭和58年に議員立法による「貸金業を規制する法律」が生まれました。
いわゆる「貸金業法」です。
貸金業法は徐々に改正され、現在に至っています。
 

金利変動の歴史(出資法の上限金利)
1954年~ 109.5%
1983年11月1日~ 73.00%
1986年11月1日~ 54.75%
 1991年11月1日~  40.004%
2000年6月1日~   29.20%
 2010年6月18日~  20.00%

 
上の表は2010年の法改正まで、消費者金融が利息制限法を超える利率で貸し付けをしていた根拠となる「出資法」の上限利率の金利変動表です。
10万円を借りた場合、1ヶ月の利息はなんと9,000円にもなります。
現在では1,500円(18%)ですから、その差は歴然です。
ご存じの通り現在では利息制限法と出資法の矛盾を解消し、2010年の法改正で10万円以上100万円未満は上限が18%となっています。
また、遅延損害金は利息制限法では1.46倍までと定められていましたが、これも業として貸し付けをする場合は20%が上限となりました。
利息制限法と旧出資法のグレーゾーンが、現在の過払い金返還請求問題の根源となっています。